こんにちは。
木野です。
皆様、無事にお過ごしでしょうか。
コロナの影響で劇団の当面の活動は先送りになり、極力外出しないように心がけて過ごす生活が始まって約2ヶ月が経ちました。
第2波が懸念される中、いよいよ緊急事態宣言が解除される流れに。
“新しい日常”という言葉の枠内に収まるもの・収まらないものが色々あるかと思いますが、じゃあ収まらなかったものたちはどういう日常に帰っていけばいいのか。不要な物だと切り捨てられてしまうのか。
先日の『#WeNeedCulture at DOMMUNE」〜文化芸術復興基金をつくろう』の生配信に「不要な物を許容できない社会になってほしくない。」といった趣旨のメッセージが寄せられており、心の中で激しく同意しました。そして拍手も。
そもそも要・不要の線引きが曖昧な中でその判断を下していくことは簡単ではないはず。
例えば、儲かる映画は作って良くて、儲からない映画は作っちゃいけないのか。
過半数以上の人に評価されるお芝居でなければお芝居として認めてもらえないのか、上演させてもらえないのか。
そんなわけはない。
色んな価値観の人達が居心地良く暮らせる社会になるためにはどういう風にバランスを取っていけばいいのか、僕ら一人一人が考えていくことがきっと大事なんだろうなと思います。
さて、この2ヶ月間、僕が何をして過ごしていたかというと…特になにもないです。
普通の生活をしていました。無味無臭です。
これまで“お芝居”一色で居させてもらえてたことが、今思うと本当に贅沢なくらいな時間でした。
お芝居を一個作るための約2ヶ月間ってやる事が沢山あって関係者はみんな物凄く大変なんですけど、その期間、ズボラな僕は家の掃除、洗濯等の家事全般が早々に後回しになって、帰ったら食う→寝る→起きる→出発というレールの上を淡々と進んでいきます。
気が付けば部屋が大変なことに…。
が、今は真逆。
台所の不要物の処分、冷凍庫の霜取り、部屋の隅っこに隠れてたカビの掃除、さらには模様替えまでしちゃってます。
今まで生きてきてこんなにも自分の生活を整えられる時間はなかったので新鮮でした。
見落としていたものがこんなにもあったんだと。
というわけで、今までとは見違える程片付いた部屋でコーヒー飲みながらボケーっと映画やドラマを観てます。
コメンタリーが結構好きなんで特典メニューは真っ先にチェックします。
『リンダリンダリンダ』のコメンタリー最高でした。監督の山下敦弘さんと脚本の向井康介さんがダラダラ喋ってるんですけどその感じが本当良くて、仕事としての目線+ほぼ趣味趣向に近いような事も言いながらの2時間。
仕事と趣味のバランスの取り方が絶妙で良いなぁーってなります。
おっさん2人がずーっと喋ってるんですよねー。笑
こういうダラダラ喋ってる系のものが好きなので、最近YouTubeで色んな芸能人や作家さんが配信しているのを聴いたりしてます。
久保ミツロウさんと能町みね子さんの“俺たちデトックス女子会会議室”とか、
ヒャダインさんと千葉雄大さんの“HYADA in my room”とか、ずっと聴いてられる。
久保みねヒャダ千葉、癒されます。笑
ありがとう、zoom。
ラジオクラウドで“荻上チキ session22”のOPパートだけ聴くのも楽しい。
本編の政治的な話とはかけ離れた緩いトークをする時があって、それが可愛くて面白くて好きです。
荻上チキさんと南部広美さんの仲の良さとか伝わってきて最高。
お互いの思考形態理解し合ってるんだろうなーっていう。
こんな風に生活してますが、ふとした時に「お芝居したいなー」って思います。
脈絡無く。唐突に、シンプルに。芝居がしたい。
辛いです、今。
これまで地方の鑑賞団体の方々や東京のお客さん達に支えていただいて公演ができていたけど、その機会が絶たれた今、何もできなくなってしまった。
この期間、自分の無力さを恥じることしかできません。
大勢のお客さんが入った劇場でお芝居をして、しかもお客さん一人一人がそれぞれ自分自身の価値観で感動したりしなかったりして。
そしてお客さんのリアクションに舞台上の役者達が一喜一憂したりして。
それってとても素敵なことです。
劇場って、多様だし寛容だなって思います。
ここに居ていいんだよって包み込んでくれる。
1日でも早く劇場に行きたい。
部屋が綺麗に片付いた今の僕なら、めちゃめちゃいい芝居ができる気がする。笑
文化・芸術は僕らの生活にすっかり染み付いていると思います。
それを切り離すことは決して簡単ではないはず。
根拠は乏しいけど、断言できる。
劇場は死なない。
木野 雄大