劇団の歴史をひもとくと、初めて俳優座劇場を使用したのは1962年12月で、A.チェーホフ作の『ヷーニャ伯父さん』を下村正夫演出で上演していました。その後数々の作品でお世話になっておりましたが、近年では『琉球の風』や『美しきものの伝説』、『歌え!悲しみの深き淵より』など、お客様の記憶に深く残っているようなレパートリーが挙げられます。
私たちのような他劇団の役者・スタッフにとりましても愛着があり、使いやすく、何よりその歴史ある劇場の舞台に立てるということは特別な意味をもっていました。
実は昨年6月に『血を売る男』が最期の公演として予定されていたのですが、事情により中止となってしまいました。きちんとお別れもできぬまま見送ることになるのかとしばらくは落胆しておりましたが、今回の3日間3ステージという機会をいただくことができました。
気を取り直し、みなさまと私たちの心に残る良い公演にしたいと、今は静かにそれぞれの胸の裡で準備を始めたところです。
『獅子の見た夢ー戦禍に生きた演劇人たち』は、2022年より2025年まで足かけ4年間で全国各地を巡演している東演のルーツとも言える作品です。東京ではこれが最後となる可能性の高い3ステージをどうぞお見逃しのないよう、日時をご確認いただけましたら幸いです。
劇団ホームページでも詳細を公開しております。合わせてご覧くださいませ。
第163回公演 『獅子の見た夢―戦禍に生きた演劇人たち』 (t-toen.com)
写真は昨年の稽古場スナップです。(撮影:成毛章浩)
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リーフレットの西川信廣さんの言葉に「現代社会に様々な事を問いかける作品にしたいと思っている」とありましたが、100年以上前の作品とは思えないという感想を沢山いただいたので、上演した意義があったと感じました。
東演パラータまで足を運んで下さったお客様、本当にありがとうございました。
観劇して下さった方に、応援して下さった方に、感謝を込めて。
写真撮影/成毛章浩
⬇⬇そして、次回公演はこちらです⬇⬇
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東演公演
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『獅子の見た夢』〜戦禍に生きた演劇人たち
❏ 原作/堀川惠子『戦禍に生きた演劇人たち』
(講談社文庫より)
❏ 脚本/シライケイタ
❏ 演出/松本祐子
❏ 2024年4月12日㈮〜14㈰
❏ 俳優座劇場
上演時間は2時間25分(途中休憩込み)です。
前売り開始は3/12㈫です。
お時間ご都合つけて、観に来てもらえると嬉しいです。
初めての方も、もう一度観たい方も、どうぞお見逃しなく♬
劇団創立65周年公演第?弾、ご期待下さい!!
俳優座劇場で心よりお待ちしております。
原野寛之
初日から天候が悪く寒い日が多いですが、パラータまで足を運んで下さったお客様、本当にありがとうございました。
今回から終演直後の面会が可能になり、お客様から直接感想を聞くことが出来て、とても嬉しく思っています。
SNSでも感想を見かけて、日々の励みに繋がっています。
本日は休演日。
後半に向けてしっかり英気を養って、3/3の千穐楽を迎えられるように、引き続き頑張ってまいります。
折り返し記念として、更に舞台写真を公開です♬
観劇して下さった方には、感謝を込めて。
明日以降に観劇予定の方には、期待を抱かせて。
写真撮影/成毛章浩
有り難いことに、数日前よりも完売日や残席少が増えました(2/27現在)。
夜公演を中心にお席がございます。
お時間ご都合つけて、観てもらえると嬉しいです。
上演時間は2時間15分(途中休憩込み)。
どうぞお見逃しなく!!
東演パラータで心よりお待ちしております♬
原野寛之
初日から生憎の空模様が続いていますが、パラータまで足を運んで下さったお客様、本当にありがとうございました。
3/3の千穐楽まで元気に駆け抜けられるように、頑張ってまいります。
写真撮影/成毛章浩
既に観劇された方は、あの場面かと思い出してもらえたら幸いです。
これから観劇予定の方は、予告編として楽しんでもらえたら幸いです。
有り難いことに、数日前よりも完売日が増えました(2/23現在)。
ご検討中の方、後半の日程はまだまだお席がございます。
お時間ご都合つけて、観てもらえると嬉しいです。
上演時間は2時間15分(途中休憩込み)。
どうぞお見逃しなく!!
東演パラータで心よりお待ちしております♬
原野寛之
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私が生まれ育ったのは北九州市。温泉の初体験は小学校の修学旅行で行った別府温泉です。
子供だったので温泉にはあまり興味がなく地獄めぐりや高崎山の猿、人の手で掘られた
青の洞門などが私の温泉初体験の記憶です。成長してからの温泉体験は父の故郷へ行った
折の指宿温泉くらいでしょうか。
旅公演での温泉体験で、私が真っ先に思い出すのは青森の酸ヶ湯温泉です。若手中心に
「西の国の人気者」で東北方面の高校を巡演。そのコース途中で酸ヶ湯温泉旅館に宿泊、
もちろん名物の千人風呂(混浴)もワイワイと女子たち有志で体験しました。湯治場らしく
自炊設備があり生活感漂う温泉宿でした。写真は散歩途中で湧水を発見、どれどれと手を
入れると温泉地帯らしくあ...お湯でした。
40数年前の私の若かりし頃の楽しかった温泉体験の思い出です。
和泉れい子
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人様に面白く書けることは特にないのだが、犬に追いかけられた砂場や、ザリガニやオタマジャクシを取りに行ったら蛇に遭遇の田んぼ、火遊びをして芝生一帯を燃やしてしまったことなど、場所の風景というのは未だに鮮明だ。
今はもう何も覚えていない母も、友人たちのことは忘れても、社宅や近所の商店など、具体的に示すとおぼろげながら当時の絵が浮かぶみたいだ。
「人民の敵」もある国のある町の人々の大切な故郷で起こった物語。
自分たちの町のことは誰もが真剣、言い分いろいろ。生きてんなぁと。
あ、温泉の思い出?
30年くらい前に旅で行った秘境で、工事してたために横川さんと混浴したことかな(^_^;)
岸並万里子
写真は、古山華誉さんが撮ってくれた先日の通し稽古の様子です(今回は小道具を担当して芝居を支えてくれています♪〜感謝♪〜ありがとう♪)。
上演時間は2時間20分です(途中休憩込み)。
濃厚濃密なドラマに仕上がってきました。
舞台稽古を経て、いよいよ初日を迎えます。
有り難いことに、完売日や残席僅かな日時もございます。
(2/17現在)
とはいえ、まだまだお席ございます。
お時間ご都合つけて、一人でも多くの方に目撃してもらいたいです。
劇団創立65周年公演第?弾、どうぞお見逃しなく!!
東演パラータで心よりお待ちしております♬
原野寛之
]]>年2回ほど帰省するのであるが、東京駅から新幹線に乗り米原という駅で、金沢方面に行く特急に乗り換える。
そして武生(たけふ)という駅で降りる。
もうどれくらい前か、記憶にないくらい前から、ホームに「たけふ駅の新幹線着工を」の看板が取り付けられていた。
この駅に新幹線? 無理でしょう。漠然と眺めていた。
しかし、2024年3月16日
北陸新幹線がおらが町のたけふ駅→敦賀駅まで伸びるのである!
しかし…………
おらが町に止まる新幹線は1日2往復↘↘
今までのル―トで帰ろうとすると、2回乗り換えが必要になってしまった。
2往復って!そんなん無理でしょ!よほどの暇な人じゃないと!
そして料金は往復1万も高くなる。時間はちょっと早いだけ(涙)
地元は道の駅なるものができ、観光客を誘致しようと、盛り上がってるらしいが。なにが便利で何が不便なのか…
まあ、それは差し置いて、私の実家の周りは、びっくりするほど、子供の頃と変わっていない。
子供の頃の記憶のままの風景♡
それは私にとって癒しであり財産である。
福島県にある中ノ沢温泉の硫黄の香りが強く酸性で(石鹸が泡立ちません)色が黄色のお湯、それが温泉と思っていました。
私が4歳から14歳まで毎年年末年始に過ごしていた宿の温泉です。木造2階建て、暖房は石油ストーブと炬燵のみ。夜は炬燵に足を入れる形に布団を引き、窓からは氷柱が幾重にも垂れ下がっている古い古い宿でした。
その宿には何家族が集まり(親戚ではないのですが)昼はスキーをしたり、大人たちは酒を楽しみ、子供たちは家庭とは違う空間でコミニュケーションをとりあい遊び尽くして。温泉もプール位広い露天風呂で子供ギャングが遊ぶ、遊ぶ。(今じゃ絶対怒られる)
大人になってからいろんな温泉に浸かりました。私の出生地鹿児島県も温泉天国。育った東京(調布)も実は温泉天国。日本全国温泉テーマパークです、ね。
温泉とは 心の泉 です、ね。
今住んでる八王子にスキー場があったらいいのにってずっと思ってた、小池友理香
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元来、自分の人生でいつ何があったかきちんと記憶できるタイプの人間ではないので定かではない。
飛騨高山をふるさとに持つ父に連れられて帰省した折、近くの日帰り温泉に寄ったものである。有名な温泉地というわけでもなく、名前も憶えていない。
だが、家風呂でも町の銭湯でもない「温泉」に魅了されたきっかけである。
昼日中のんびり湯につかり手足を伸ばす心地よさ、浴槽の木の肌触りとほのかな湯の香り。それは、記憶に留まった。
次の温泉は高校時代、広島・山口への修学旅行の自由行動。仲間と3人でわざわざ列車に乗り込みひなびた公共温泉につかりに行った。同級生たちはもっと高校生らしい目的地を見付けて観光したようだが、自分たちは天邪鬼で誰も思いつかない行動を起こした。
「秘湯」という言葉が付くような、そこは湯治場だった。入浴時間は30分あったかなかったか、駆け足で帰りの列車に飛び乗り…しかしホテルに戻った時は学友たちは既に夕食が終わるころ。担当教官の大目玉を食らい夜の自由行動は謹慎となった。
旅行嫌いの父のおかげで10代の自分は図書館の温泉ガイドブックで温泉巡りは夢を見るだけであった。
その満たされない欲求は役者になったことで無事解消されることとなった。
特に入団したての頃は旅公演が決まると旅中に行ける温泉を探すことが当たり前の準備であった。
今はもう旅公演でもよほどの余裕がなければ温泉巡りを愉しむことはできないが、旅好きの家族と短い旅で温泉愛を満足させている。
『人民の敵』では愛する温泉を救う勇士となるはずだが…
その結末やいかに!
今年唯一のパラータ公演で是非ご覧くださいませ。
トマス・ストックマン博士
能登剛(のとたけし)
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温泉好きの先輩やスタッフさんから名湯や秘湯を教えてもらっているうちに、嵌っていきました。
今では宿泊先や、その近隣に温泉があると、率先して入っています。
連日の公演で疲れが溜まった時に入る温泉や、朝早く起きて貸し切りみたいに入る温泉は、至福のひととき♬
また頑張ろう〜!!という気持ちにさせてくれます。
温泉の汚染問題から端を発する『人民の敵』。
ある団体の公演を以前に観て、いつかやってみたかった作品なので、今回取り組めてとても幸せです。
演出の西川さんは、20年前に参加した文学座主催のワークショップでお世話になったことがあり(西川さんは覚えてませんでしたが…泣笑)、今回再びご縁が繋がって嬉しく思っています。
試行錯誤を重ねながら、約140年前のイプセンの作品が、現在とリンクする芝居になればと思います。
東演パラータで心よりお待ちしております。
アスラクセン/原野寛之
]]>私がいつも帰省する家は、少しさびれた温泉町にあります。私の生家は既に無いので、この特急や私鉄があり、スキー場と温泉の街へ帰省するのですが。この街にバブルの時に一大スパリゾートが建設されました。第三セクターで。…もうこの辺りからきな臭い感じですね、ええ。数年の後、閉館。莫大な借金が残りました。取り壊すのにもお金がかかるこの施設は、未だそのまま残っています。
実家ではないにしろ、帰った時に滞在する町ですから、多少なりと思い入れがあるはず…と思っていましたが、今回の「人民の敵」に出会うまで、あまり関心がなかったことを思い知らさせます。実にほとんど何も知らなかった。
スパリゾートが建設された同じ頃、日本の各地で同じような第三セクターでテーマパークが開園し、4〜5年で閉園しました。子供だった私は、遊びに行く楽しさだけを思い出に、その後の顛末は知らず、知ろうとせず、すくすく育ったのです。
で、そんな小さな町というか、もう少し奥に行った村では贈収賄で票を集めることが常らしく、『選挙があるとお金がもらえる…貰ったことないけど』と。
令和の日本の時代ですよ。
イプセンもびっくり。
すみません、こんな身近なのに、御身に降り掛かってないので、私なんてこんなもんです。
あらゆる階級の人々・町民集会の参加者
/東さわ子
]]>『人民の敵』、今日の稽古では、本番で使う音声の録音をしました!
役についているオンキャストから、裏方で支えてくれているオフキャストの劇団員、そして制作の横川も特別参加(笑)
演出の西川さん(写真中央)、音響プランナーの中嶋さんの指揮のもと、一丸となり録音に臨みました(*^^*)
『人民の敵』、着々と本番に向けて準備が進んでいます。
お楽しみに!!
中花子
]]>調べてみると、「こころのよりどころ」との解釈も。
そう考えると、私の「ふるさと」は、高校の演劇部なのかなぁと思います。
私が演劇の道を志した原点。
仲間と一緒に作品を作り上げていく楽しさ、大変さ、喜びを全部教えてくれた場所です。
同期とは、もう17年の付き合いになります。
でも、いまだに集まると、その瞬間みんな16歳になります。笑
年齢が変わっても、会えばずっと変わらず馬鹿騒ぎできる、なんか安心する仲間たち。
でも、何かあると真っ先に助けようと手を差し伸べてくれる、仲間想いの人たちです。
こころのふるさと、これからも大事にしていきます。
(ひなのちゃんが撮ってくれました。娘役の理花ちゃんと)
カトリン・ストックマン役
中花子
]]>文字通り、横浜市の市歌です。
横浜市民は、小中学校人によっては高校でも歌います。
始業式や終業式等々全校生徒が集まる際には、校歌はさることながら、横浜市歌もほぼ必ず歌います。
そのため、横浜で育った人間の大部分はこの歌を歌うことができると思います。(三森調べ)
横浜出身者に出会うと、私は必ず質問してしまいます「横浜市歌知ってます?」と。そしてその人と共に口ずさんでしまうことも…、中学校卒業から20年近く経った今でも、覚えているものですね。
お住まいの、もしくは故郷の地域に地域歌がある方、パラータにいらっしゃる時にはぜひ教えてくださいね。
写真は星野先輩に何かを語る自分…
(撮影は宇坂さん)
演出助手その1
三森伸子
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