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卵を立てる

3月に入り「野口体操」を再開、今週は生卵を立たせるという体験をしました。
 
宇宙の原理にどっぷりつかってそれを信じ切っている。
悠然として余裕綽々、すっきりとしておおらかである。
立つことが当たり前であるから、ただずっとそこに立っている。
素晴らしい。美しい。
これが地球の上に、床の上に、立つということの基本でなくてなんであろう

(野口三千三著・原初生命体としての人間より)




重さを集中させひたすら一点をさがします。
しばらくすると、すっと重さが流れこみ立つのです。

















見事、 卵1パック10個全部立ちました!!

「体操とは、自分自身の体の動きを手がかりにして、人間とは何かを探検する営みである」
(野口三千三著・原初生命体としての人間より)

10年、20年と続けていても、学ぶことの多い野口体操です。





れいこ 和泉れい子
 
劇団東演 * 野口体操 * 20:55 * - * -

久しぶりに

「ハムレット」の長い旅公演を終え、野口体操への
参加者が戻ってきました。

毎週月曜日午前中にレッスンが行われている野口体操。
久しぶりに賑やかな時間でした。

講師は東演がパラータへ移ってからずっとご指導いただいている富永由美さんです。富永さんは野口三千三先生
に40数年に亘り指導を受け、私たちに「野口体操」の奥深さを身をもって教えてくださっています。

レッスンの最初は、野口先生の言葉に対し十数分のレクチャーがあります。
今日のトップキーワードは「差異」の感覚。



自分自身の感覚、今の自分、感じる、等々 私たちが受けてきた学校教育からは読み取れない「体操」という行為に最初は誰もが戸惑いますが、その奥深さに分け入ると、自然の、そして自分の中にある自然の偉大さに気付かされます。

とまあ、理屈はいろいろとありますが・・・

右の写真は「脳天逆立」の実践。

野口体操の逆立ちは、読んで字のごとく逆さまに立つことです。
誤解を恐れずにあっさりいうと、足で立つことを「逆に」立ちましょう、ということなのです。

野口体操は終わりがありません。
今の自分の 体に貞く のです。
それぞれの経験年数での面白さを味わえる限り、終わりはないのでしょう。

れいこ和泉れい子





 
劇団東演 * 野口体操 * 12:02 * - * -

スーパームーン「月光」


スーパームーン5月の大型連休も終わり、劇団も日常へと戻りました。

どん底旅メンバーは髭をそったり、髪を切ったりで、連休中それぞれリフレッシュ。

旅ブログを担当していた大川も長かった髪をバッサリ
なんとなくお月さんの感じになったような・・・
本人いわく「母そっくりになってしまった」らしい 

写真は5月5日我家からのスーパームーン  

さて今日は旅メンバーも戻り大勢での野口体操。

今日は次のような野口先生の言葉の紹介がありました。

「人間の一生における可能性のすべての種・芽は現在の自分の中に存在する」
「体操の目的は、本来自分の中の持っている可能性を発見し発展させ、それがいつでもどこでも、最高度に発揮できるような状態を準備することである」
「いつも新鮮な興味を持つことができれば、飽きることなくそのもの、ことをやり続けることができる。私は(中略)今ここでやる、このことに対して新鮮な興味を持つことができる姿をこの上なく美しく素晴らしいと感ずるのである【野口三千三著書、他より】」

今年も間もなく「月光の夏」がやってきます。例年のように8月下北沢のタウンホールでの上演もあります。

 和泉れい子

劇団東演 * 野口体操 * 23:59 * - * -

桜咲く

遊歩道2週間前は固い蕾だった樹でしたが
今日は見事に満開
前回アップした写真の桜です

毎年この時期代沢遊歩道は花見客で
賑わいますが今年は静かに時間が流れています

我が家近くの幼稚園は今日入園式
おめかしした子どもたちがはじけます

春は始まりの季節
劇団にも新人が入団しました
爽やかな風を期待します











野口体操も新年度
チンプンカンプンだった体が
少しづつ重さの見える体になってきた若手諸君
継続は力なり・・・

「人間のすべての理解はある意味で誤解であり、すべての感覚・認識は
ある意味で錯覚である。(中略)実感もまた錯覚でしかない。しかしこの錯覚
能力こそ、想像力・創造力・生命力の源泉である」
【野口三千三著・「野口体操 重さに貞く」 より】
 
  和泉れい子
劇団東演 * 野口体操 * 23:13 * - * -

野口体操(9月20日)


■力を抜く
野口三千三先生野口 三千三(のぐち みちぞう)
1914年11月16日 - 1998年3月29日)
野口体操の創始者。元東京芸術大学教授。

【写真:野口体操教室HPより】










大自然の力に抵抗する能力を力と呼び、そのような能力を量的に増すことを鍛練
と呼ぶ、という考え方は傲慢の極みである。

からだの動きにおいて、力を抜けば抜くほど力が出る。

(野口三千三著:「野口体操」重さに聞く より)

野口体操では「苦しさに耐える」「力ずく」という動きを肯定しません。
力を抜くということはゼロになることではなく、新たなエネルギーを送り出す状態
になる
(野口三千三著;原初生命体としての人間)
ということと私は理解します。

「力を抜く」ためにはまずそのON、OFF状態を自覚することから始めなければなり
ません。これは思いのほか難しいものです。

地球に立つということ、エネルギーの出どころや流れ方の実感。
それらを自分なりにどう受け止め咀嚼するか。

今の自分と向き合うおもしろさを感じます。

  和泉れい子




劇団東演 * 野口体操 * 12:36 * - * -

野口体操(7月12日)

 
   
■野口体操における「貞く」ということ

野口先生はご自身の著書(原初生命体としての人間・岩波現代文庫)のなか
で「自分自身の生身のからだの動きを手がかりに、今ここで直接、体験するか
らだの中身の変化の実感によって、人間(=自分)とは何かを体験する営み
を、体操と呼んでいる」と記されています。
こればかりではありません。他にもさまざまな言葉で体操を定義付けされてい
ます。

その中で「実感する」という言葉をよく用いています。
自分の頭の中だけでなく体の中の全感覚で確認する作業を、先生は
「貞く(きく)」と表現された、と私なりに理解しています。
そして、ときとしてそれは自己の人生観、生きるということの確認、自分と世
界とのかかわり方の在りようにまで及びます。

体操という行為を通して、「命」というものの不思議さ、たいせつさは
もとより、人間の奢り、昂りにまで考えを至らしめる。


30年この体操を続けてきて、ようやくその面白さ、奥行きの深さに気付き始
めたところです。

 和泉れい子

■野口体操教室HP

野口体操の会HP











劇団東演 * 野口体操 * 00:00 * - * -

野口体操(7月5日)

 ■野口体操

体操グッズ


1978年、劇団東演は武蔵境の手狭な稽古場から下北沢のここ「東演パラータ」へ活動拠点を移し、新たな船出をしました。当時私は研究生として入団したバリバリの新人、見るもの聞くもの全て新鮮で、緊張した中にもワクワクした毎日。日常のお茶くみや掃除はもちろん、仕込みやバラシ、荷積み荷降ろし、パラータ公演の折には寒風吹きすさぶ中看板持ち、新人必須のあらゆる裏方仕事を経験しました。


 


 そんな中、全劇団員参加のもと始めたのが「野口体操」です(東演と野口先生との関わりについては後日)。初回は代表の相沢治夫を筆頭に、大宮悌二、近石真介、笹山栄一氏などそうそうたるメンバーが参加していたのを覚えています。その後途絶えることなく続いている野口体操。指導をされているのは、自らも野口三千三先生のもとで学ばれていた富永由美子さんです。


 


毎月3回、私たちは富永さんによる「野口体操」を通し、俳優としての舞台での在り方を学んでいます。今日も野口先生が記された言葉の中から、次の文章を紹介されました。


 


※生きているということは「息をしている」ことであり


生きものは「息するもの」であり


命は「息の内(いきのうち)」であり


生き方は「息き方」なのである


 


※すべての動きは呼吸如何により決定され、全ての呼吸(発声)はからだのあり方によって決定される。


【野口三千三著・原初生命体としての人間~野口体操の理論~ 岩波現代文庫 】


 


新しく野口体操のカテゴリを設けました。

野口体操を通し、何を感じ学びとるのか。拙いながらも私たちの野口体操における足跡を記していけたら、と思います。

和泉れい子
劇団東演 * 野口体操 * 02:07 * - * -
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